〈貴帆〉優勝!!

「小笠原レース2023」は無事終了。北田浩オーナー、吉富愛、宇田川真乃、3名乗艇の〈貴帆〉(Class 40 Pogo40-S3)が優勝しました。

■東風(こち)に乗って

4月23日 11時ちょうど、全7艇が小網代をスタート。
先に書いたプレビュー記事では南寄りの風を想定して書いたのですが、これが北東の風で。〈Tithis4〉を先頭に各艇リーチング用のジェネカーを揚げて南下していきます。

北から張り出す高気圧から吹き出す冷たい風です。
天気図をみると停滞前線が小笠原のあたりにあるのがわかります。ここが温かさと冷たさの境界線ということ。
プレビューで例に挙げたパターンとは違う気圧配置です。

その先の予想でも、この東寄りの風はしばらく続きそうで、目指す小笠原まではリーチングの1本コース、つまりスピード勝負のドラッグレースとなります。

TCCの最も大きい〈貴帆〉がするすると前に出ます。
このレースはIRCのハンディキャップレースなので〈貴帆〉が先頭を走るのはあたりまえ。ここから先は修正順位が問題になるわけで。

■〈貴帆〉はどんだけ速くなければならないのか

IRCでは所要時間に各艇のTCC値を掛けて修正時間を出します。
〈貴帆〉のTCCが1.236で〈BetterEnd〉が1.011でって言われても。
時間としてどのくらいの違いがあるかというと……。

TCCが最も大きい〈貴帆〉が60時間(2日半)で走り切った場合、他艇は何時間以内にフィニッシュすれば逆転できるのかという数字が以下。

艇名TCC所要時間時間差
Kiho1.23660.0
Miroku1.11366.66.6
Stardust1.10067.47.4
Gaspard31.07868.88.8
Zero1.05470.410.4
Thetis41.04071.311.3
BetterEnd1.01173.413.4

単位は「時」です。
〈貴帆〉が60時間でフィニッシュしたなら修正タイムは60.0×1.236で74.2時間になり、TCCが最も小さい〈BetterEnd〉は13時間24分後にフィニッシュしても修正時間は同じ74.2時間。つまりこれより前にフィニッシュすれば逆転勝利、届かなければ負けということです。

貴帆スタート後

2日半のレースで、13時間のハンデは大きいです。同じ40ft艇でもヨットの性能というのはこれほど違うということです。

単にTCCが書かれたスクラッチシートではこのあたりピンとこないので。レース艇上でも、観戦者としても、まずはここから。

■レース中の暫定勝ち負けは、、

レース艇の航跡は各艇に搭載されたTrac Trac端末からの電波を受けて集計され公開されています。
第1回の小笠原レース(1979年)の頃の方々がこれを知ったら、あっけにとられるでしょう。
ものすごい進化です。

Copyright 2023 TracTrac ApS ※画像の転載は行わないで下さい。

航跡だけではなく、右上の表が有益で。
左端のタブ「Race and crono」では、
残航(DTF)から艇間の距離差(AFTER)も表示されています。

ここではこの時点で修正トップの〈Thetis-4〉を基準とした数値になっています。先頭を走る〈貴帆〉はー(マイナス)の値になり、59.6マイル先行しているということ。

これは目的地(フィニッシュ地)に対する距離の差なので、横に20マイル離れていてもここには現れません。

で、何気に並びがIRCでの修正後の暫定順位になっているのですが、これがくせ者です。
前の記事でも書きましたが、IRCは修正時間で勝ち負けを決める競技です。
修正時間は、所用時間にレーティング値(TCC)を乗じた値です。
フィニッシュタイムから算出されるものなので、レース途中の“その時点”での勝ち負けを計算することはできないのです。

なぜか。

GPSから送られてくるポジションから残航は正確に出るし、そこから艇間の距離差も分かるのですが、この距離差を時間に換算するためには“その時点”の艇速が必要で。この場合、ボートスピードではなく目的地への接近速度(VMC)ですね。GPSではこれをVMGと表記することが多いですが、正確にいうと前の記事に書いたVMCです。

GPSから送られてくるCOG/SOGから目的地(フィニッシュ)へ向けた接近速度は出ます。残航(DTF)とその時点のVMCから到着予定時間(ETA)を計算し、それにTCCを掛ければそれぞれの修正時間が出るわけで、暫定結果も出る。……ということなのですが、VMCは常に変化しているので、特に残航が長いと誤差が大きくなり使い物になりません。で、いろいろ工夫するのですが、いずれも正解は無いのです。どれだけ工夫しても、とりあえずの修正順位としかいえません。
それでも、常に修正順位として頭にないとレースがつまらないので、無いよりはマシと考えましょう。

■通過地点の順位

Trac Tracでは別に予め設定した通過地点での修正順位が出るようになっています。
左から2番目「Legs and sync」タブがこちら。

Copyright 2023 TracTrac ApS ※画像の転載は行わないで下さい。

今回は州崎、八丈島、鳥島に通過地点が設定してあり、上のシーンは八丈島通過時点での修正順位です。
ちょっと分かりにくいのですが、「LEG TIME」は州崎-八丈島間の所要時間で、「AFTER」は八丈島通過時点での先頭を走る〈貴帆〉との時間差になります。つまり、スタート-州崎のLEG TIMEを加えた所要時間の差。

この表にはスタートから通過地点までの所要時間とそこから計算した修正時間が出てないので、修正での時間差まではわかりません。
が、ここでは正確に修正時間を計算し順位を出せるはずです。この通過点がフィニッシュラインだと考えれば良いんだから。

で、ここでの順位にポイントをつけてコース全体を4レグに分けた総合ポイントで順位を出したら。わりと単調になってしまう長距離外洋レースをもっと楽しめるのではなかろうか、と、今回感じました。

ちなみに、今回の各通過ポイントでの順位は以下の通り。

・州崎
1:Thetis4
2:Zero
3:BetterEnd
4:Kiho
5:Miroku
Stardust
Gaspard3

・八丈島
1:Thetis4
2:Zero
3:Kiho
4:BetterEnd
5:Miroku
Stardust
Gaspard3

・鳥島
1:Thetis4
2:Zero
3:Kiho
4:BetterEnd
5:Miroku
Stardust
Gaspard3

〈Stardust〉と〈Gaspard3〉は八丈島を越えた後でリタイアしたので、州崎、八丈島時点ではレグの順位がつくはずなのに、ここでは全部DNFに記録されています。
ここも修正してもらえると良いなぁ。

(以下、4/30追記)——-
……と書いたら、その後TracTracの担当者の方から連絡をいただきました。レース終了後はレースファイルを閉じないと延々とレースが続いていることになってしまい、レースファイルを閉じるとDNF艇は「フィニッシュできなかったのだから途中の記録も無し」になってしまう仕様なのだそうです。確かに、途中の順位を……なんてルールにはないわけですから。

そこを今回は特別にレースをしている状態に戻して頂いて、通過点での成績を記録しました。
以下のとおり。

・州崎
1:Thetis4
2:Zero
3:BetterEnd
4:Stardust
5:Gaspard3
6:Kiho
7:Miroku

・八丈島
1:Thetis4
2:Zero
3:Gaspard3
4:Kiho
5:Stardust
6:BetterEnd
7:Miroku

・鳥島
1:Thetis4
2:Zero
3:Kiho
4:BetterEnd
5:Miroku
Stardust
Gaspard3

今後は、主催者側で各通過点での記録を(リタイヤ艇が出る前に)ひかえておけばよろしいかと。
リタイヤになってしまった〈Gaspard3〉、〈Stardust〉の奮闘を記録しておくためにも。
{追記ここまで}—————–

■逆転優勝

その後も東寄りの風は吹き続け、〈Thetis4〉で30ノット、〈貴帆〉で45ノットといいますから、ジェネカーを揚げてガンガン飛ばすというより艇を壊さないように注意して走るモードとなったもよう。
でもリーチングですから、レースはかなり早いペースで進みます。セーフティーなドラッグレースです。

4月25日 21:27:37。〈貴帆〉がファーストホーム。所要時間:58時間27分37秒。
ということは、後続艇は以下の時間にフィニッシュすれば勝ち、届かなければ負け、と勝負はハッキリしてきます。ここからがお楽しみどころなのです。

艇名TCC勝敗分岐タイム
Thetis41.0404/26 08:28:40
Zero1.0544/26 07:33:18
BetterEnd1.0114/26 10:28:15
Miroku1.1134/26 03:55:15
Stardust1.100ret
Gaspard31.078ret

この時点で、2番手を走っていた〈Thetis-4〉は残航が約67マイル。
11時間後にフィニッシュできれば逆転なので、6ノット平均以上で走れば良いということ。
ここまで、約430マイルを58時間で走って来たわけですから、平均7ノット以上出ていた計算になります。
つまり、これまでのペースで走り続けることができれば、逆転優勝……いやいや“逆転”ではないか、この時点ではまだ勝っているということ。

〈Thetis-4〉の艇上では〈貴帆〉のフィニッシュ前コールを傍受しており、しかもこの時点ではまだ良い風が吹いており、このまま走れば勝てる、という計算はできていたようです。

逆に先着している〈貴帆〉は待つことしかできないわけで……。

これが、修正時間で戦う外洋レースです。
ここを“手に汗握る勝負”として楽しまないと。

■運命の夜

そのまま日は変わり、4月26日。夜中の1時から2時頃から10ノット前後まで風は落ちしかも南に回ります。
これからフィニッシュラインに向かう後続艇にとってはなんとも不利な状況に。

万事休す。

4月26日。10:41:35 〈Thetis-4〉がフィニッシュ。
続けて、スタート以来ずっと競り合っていた〈Zero〉が12:02:10にフィニッシュ。
つまり両艇とも及ばず。
……というより、〈貴帆〉のフィニッシュ時点ではまだ〈Thetis-4〉、〈Zero〉は勝っていたと考えていいわけで。つまり、〈貴帆〉の逆転勝利と書くのが正しいかと。

貴帆フィニッシュ後
貴帆フィニッシュ後
Thetis-4フィニッシュ後
Thetis-4フィニッシュ後
Zeroフィニッシュ後
Zeroフィニッシュ後

と、修正時間で競う外洋ヨットの楽しみ方の一端を、分かっていただけたでしょうか。

コラムの中で出てきた用語は、リンク集でサイトをご確認いただけます。


著者:高槻和宏

昭和30年(1955)生まれ。横須賀在住のマリンジャーナリスト。ヨット関連の著書多数。


※「その道は大海原へ」は、JOSAが目指すテーマです。

2件のコメント

  1. 拝読いたしました。表の項目・Waypoint設定を解説いただき本当に感謝です。
    文中の途中リタイアした艇のDNF表記ですが、参加艇が「フィニッシュした」「フィニッシュしなかった」「DNC」等々を決めないとレースファイルが閉じれずに延々とレースが続いている扱いになってしまいます仕様ですので。DNF同様、UFDやNSCなども「フィニッシュできないのだから途中の記録もナシ」という冷たい対応になってしまいますが・・・
    一時的にまだレースをしている状態にしましたので、2艇の数値を読み取ってください。
    よろしくお願い致します。

  2. Takeshi Miyataさま
    コメントありがとうございます。特別にご対応いただき誠にありがとうございます。控えた各ウェイポイントでの順位を追記させていただきました。今後ともよろしくお願いいたします。

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