小笠原レース2023 参戦レポート【Bitter End艇長 鈴木裕介】

文・写真・映像:JPN-1403 Bitter End
艇長 鈴木 裕介

レース中の鈴木裕介Bitter End艇長
レース中の鈴木裕介Bitter End艇長

PROLOGUE

レース参戦を意識し始めたのは、確かレース前年の夏くらいだったと思う。

コロナの影響もあり開催されるか未確定だが、水面下での準備は進めているようだとの噂もあり、開催されるなら出たい!と思うようになった。

思い返すと父がヨットに乗っていたこともあり幼少期からセーリングが身近にある環境で育ったが、小さいころはヨットに乗るのが嫌いだった。船酔いするし、何より酒飲みの大人の中にいてもつまらない。それでも中学くらいになると何となく楽しいかも、と思うようになり夏の伊豆七島クルージングなどについていくようになった。なんとなくヨットも楽しそうだなと思い始めた中学3年の時、父が当時のVOLANSでグアムレースに出場したのは最初に間近で触れた外洋レースだった。準備や練習をたまに近くで見ていた。

もう一つ憶えているのはヤマハが優勝した年のホイットブレッド世界一周レースのビデオが家にあったこと。それを観た衝撃は大きく繰り返し観ていた。自分の知っているセーリングとはまるで違う世界。オープニングの締めくくりは「男たちがその試練にあえて挑戦するその訳は、ただ、子供のころからの憧れだったから」。かっこいいじゃん。

外洋レースへの漠然とした憧れがこうして根付いたのだと思うが、高校、大学ではスキー部でアルペンスキーに熱中していたこともあり、ヨットは時々乗る程度だった。社会人になり競技スキーは一旦卒業、入れ替わりで週末にできるヨットに徐々にのめり込んでいった。

この頃の活動は幼いころから慣れ親しんだVOLANSチーム(途中でBitter Endに改名)で、油壷に寝泊まりできBBQもできるヨット乗りにとっては最高の根城があり毎週のように集まり楽しんだ。このとき出会ったのが今回のレースにも参加した宮内さんだ。当時はお互い独身でヨットに熱中し、楽しい時も辛いレースも常に一緒だった。

そのような活動の中にも時々レースに出場することがあり、「もっと本格的にレースをやりたい」と思ったときにSAVAGEチームの誘いを宮内さんと共に受けた。この時25歳、ヨットレース活動が始まった。チームは当時20代中心の若いチームでインショアレースを中心に活動しバウマンとして育ててもらった。参加当時は独身中心の若いチームも今ではそれぞれ家庭を持ち環境は変わったが、今でも定期的にレースを楽しんでいる。そんな活動を続ける中で、船を持つ機会を得て2014年初め、29歳の時にINDICUMチーム(ツボイIMS950、油壷特別泊地協会)を立ち上げた。宮内さんを道連れにスタートし、クルー集めからレース参戦を目指し細々と活動を続けスキッパーとしての経験を重ねていった。

油壷のBitter EndとINDICUM
油壷のBitter EndとINDICUM

一方外洋レースは古巣のBitter Endに乗り込み相模湾で開催されるトラディッショナルシリーズレースに定期的に出場したりしながら経験を重ね、2017年小笠原、2018年沖縄東海、2019年小笠原に出場し本格的な外洋レースを経験した。その後自艇INDICUMでもSAVAGEチームの力も借りながら2021年、2022年の小網代カップ(カテ3)に出場し外洋レーススキッパーも経験した。

前置きが長くなったがこのような活動の延長線として今回の小笠原レースがある。

レース準備へ

レース前年、出場するために動き出したものの、これまではオーナーメンバーでもある父がスキッパーを務めていたが、今回は運営に専念するため参加しないことになった。誰が艇長を務めるか、ということになるが30代も終わりが近づき、ある程度距離のあるレースの艇長経験もしたいと思っていたタイミングでもあったので覚悟を決めた。そのような思いに至ったのも、コロナ下で活動が出来ていない中、サバイバルトレーニングを受けることでロングレースへの熱意が戻ってきたからだと思う。ただ久しぶりのロングレース、かつ本格外洋レースの初スキッパーということで不安は大きかった。正直、不安しかなかった。

船自体は小笠原、沖縄を経験していることもあり、ある程度準備は整っていた。それでも久々の500マイルクラスのレース、近海の取得手続き、OSRカテゴリー2に対応するための慣れない準備など時間を要した。船自体も前年秋からデッキの改修をしており、同時にマストを倒してのリグチェックなど大掛かりな整備も実施。下架できたのはスタートまで2カ月を切っていた。さらにエンジンの冷却システムの経年劣化が進み冷却用の海水が漏れ出ていることが発覚。エンジンルームの一部が塩田状態になり応急処置ができなければレースを断念せざるを得ない、という状況だった。この問題はなんとか応急手当が間に合い一息ついたところ、スタート2週間前に風向風速が壊れ大急ぎで修理するなどトラブルもあり最後までバタバタな状態ではあったがなんとか準備を整えた。

ただ正直に言うと船体自体の準備はBitter Endチームが積極的に推し進めておりレースに直接関わる部分以外、私はそこまで関われていない。古くから外洋レースを経験しているチームだけあって万全の体制で臨むことを大前提に進めてもらった。感謝は尽きない。

一方、レースメンバーの決定もギリギリだった。今回はGW前に1週間休む必要もあり過去参加したメンバーは大半が難しい。最終的には私含め5人での出場となった。

最初に決まったのは佐藤さん(少し強引に誘い込んだ感は否めいないか…)。2017年小笠原レースの回航に参加頂いて以来のお付き合いで、2018年沖縄東海、2019年小笠原ではレースメンバーとして一緒に参加している。航空機エンジニアで知識技術共に卓越しており、船の整備を含め佐藤さんなしに今回のレースが成り立たなかったと言っても過言ではない。

年が明けてインディカムの新年会後、苦楽を共にした宮内さんから参加表面をもらった。これは嬉しかった。沖縄レースの荒波も一緒に乗り切った相棒といっていい存在。仕事柄電気にも詳しく、エンジンの佐藤さん、電気の宮内さんといった最強コンビで挑める安心感はとてつもなくでかい。この時点で3人でも出場する覚悟はつけていた。レースではあるけれども、完走することを目標にその時そのメンバーでできるパフォーマンスで走ればいい。

その後知人の紹介もあり齋藤さんから参加表面を頂いた。直近2回の小笠原を経験され、ご自身もシングルハンドで長距離航海を何度も経験されている。いろいろな港事情にも精通されていて心強い。

さらにsamoaチームに所属する清水さんからも参加表面を頂いた。これまで回航等で長距離経験も多く、普段バウもこなすポジションとのことで有難い。これで総勢5人に。40ft艇としては少なく、齋藤さんと清水さんとは今回初めてだがなんとか走れそうだ。

そんな時、2月のサバイバルトレーニングで出会った村瀬さんからも参加したいとの連絡を頂いた。constellationでの活動を中心にマッチレースなど勢力的に活動されており心強く嬉しかった。だがその直後、諸事情により参加困難となったことは非常に残念だった。復帰されたら是非ご一緒したい。

そのようにしてメンバー5人が確定していよいよレースの最終準備に。この時点で3月末、スタートまで残り1ヶ月を切る状況となっており急ピッチで調整を行った。セーリング練習、備品チェックなど慌ただしく、前述のエンジントラブルや風向風速計故障など最後まで準備に忙殺された。練習も全員揃って十分な練習ができたとは言えず、最低限安全に関わる動きの確認は行いレースを迎える状況だったがなんとか間に合わせた。

そしていよいよレース前日。朝集合し最終準備へ。緊張が高まる。

艇長会議後のウェザーミーティングではスタート翌日から東の風が吹きあがり、小笠原アプローチが遅くなると南にまわる予報。小笠原にどれだけ早くアプローチできるかが勝敗を分けそうだ。人数が少なく、5人中2人はBitter Endに乗るのは今回が初めてだ。攻めと守りのバランスを失うと小笠原に辿り着けない可能性が高まる。「無理をしない」と自分に言い聞かせ翌日に備えて就寝した。

いよいよレーススタート

迎えたレース当日、期待と不安が入り混じる複雑な思い。これまでスキッパーとして経験したどのレースとも比較し難い緊張を感じる。妻子の見送りで少しリラックスできたのは有難かった。これから3日以上走るのだ。このタイミングであれこれ考えても仕方がない。できることをしよう、と思い直し舫を解いた。とはいえ半分置いていく予定だったフェンダーを全部そのまま積んできてしまったことからも、それなりにテンパっていたようだ。

レースに臨むBitter Endメンバー(2023年4月23日)
レースに臨むBitter Endメンバー(2023年4月23日)

スタート海面では15ktオーバーの風を受けつつトライスル、ストームジブでチェックイン。

観戦艇も多く、レースの注目度の高さも伺えた。

スタート海面では印象に残るシーンがあった。スターダストとすれ違った際、矢口オーナー/スキッパーと視線を交わした。矢口さんとは2月のサバトレでお会いし小笠原レースでの再会を楽しみに帰路についた。目線を合わせて意味ありげに頷いてくれたのは、これからロングレースに臨むもの同士の覚悟のようなものを感じ、今でもそのシーンを鮮明に覚えている。レース中のアクシデントによりリタイヤを余儀なくされ、小笠原での再会が実現できなかったのは残念だったが怪我無く無事でよかった。

トライスル、ストームジブでチェックイン
トライスル、ストームジブでチェックイン
STARDUSTスタート時01
STARDUSTの矢口艇長

スタートは北東の風を右舷から受けながら走り、小網代浮標を回航した後ジャイブしポートタックで一路小笠原へ向かうコース。スタートラインまで早く着きすぎるも時間調整に大失敗しレイトスタート。気を取り直して小網代浮標からスピンアップし小笠原に南下していった。昼前には風が前に回りスピンダウン、ジェノアをアップするが徐々に風が上がりつつあることもあり安全策で早めに№3をアップ。結果的に夜はややアンダーな走りになり先行艇と大きく差を広げられた。

ワッチ体制は2人1組の2班+私の体制。双方のワッチと一緒になれよう、また不測の事態に備えてフレキシブルな体制を意識した。初日は吹き上がる様子もなく平穏に過ごした。日が落ちた18時からワッチを開始し、1ワッチ半こなしたあと22時半から3時間弱休んだ。結果としてこれがレース中最長のオフとなったわけだが。その後はセールチェンジが必要なほどではないが少しずつ風が上がってきたこともあり結局朝までオンデッキしていた。

レース2日目も東の風が吹き続けラムラインを維持するのはちょっと辛い風向。ちょっと落とせば楽になるが、油断して小笠原の西に大きく出ることは避けたくラムラインを維持して走り続けた。ここでちょっとしたトラブルが。ドコモの衛星携帯を通してデータ受信を行える装備を備えていたが、インターネットへアクセスしても猛烈に遅く気象情報、トラッキング情報が見えない。結局最後までうまく通信できず、初日の館山沖で陸上の携帯電波を拾ったのが最後、その時得た気象情報を頼りにせざるを得なかった。特に風が上がる予報、そして数日後には南が入る予報もあったので情報を得られずやきもきした。

そんな状況の中徐々に風が上がりお昼頃にメインを1段リーフ。夕方には25ktが見えてきて暗くなる前にセールチェンジをするか判断する時だ。ここは大いに悩んだ。メインのリーフは5人なら夜でもできる。しかし夜のヘッドセールチェンジは避けたい。今の風なら問題なく引っ張れるが予報より風が上がったら?先行艇には既に大きく差を付けられており少しでも食らいついていきたい。夜のうねりの中しっかりとヘルムをとることができるのか?夜にオールハンズをかけて少ない人数でセールチェンジするリスクは?どうすればいい…どうするおれ!

徐々に夜が近づく空、海面、風速計、疲れが見え始めているみんなの表情。交互に見比べ考えるも残り時間はどんどん迫ってくる。

そろそろ時間いっぱいとなりヘッドセールを№4に、メインは1ポンリーフのままと判断した。セールチェンジの時、フォアデッキ担当の清水さんが嫌な顔一つせず積極的に動いてくれたのは本当に救われた。果敢にバウに移動し頭から波を被りながら危なげなく作業をこなす姿は安心感があり、練習不足でうまく連携できない状況もあったが首尾よく進めトラブルなく完了し夜を迎えることができた。

その後ヘルムを取り続けるも夜も遅くなりそろそろ休まないと。一旦キャビンに入るもバースは既に半分濡れてドライな空間はほぼなくなっていた。限られたスペースに体を埋めて目をつむるも寝れない。前日もオフワッチ1回でかなりの時間ヘルムを取っていたので体はかなり疲れている。でも寝れない。脳がかなり興奮状態にあったということか、未熟者故の不安からか。そんな時セールが激しくバタつき違う揺れを感じた瞬間逆タックになった。慌ててデッキに飛び出したところ切り上がってタックしてしまった様だ。チェッカーのシャックルを破損しており、船を安定させたあと交換作業し事なきを得た。

その後もう一回休もうとするも結局すぐ風が上がってきたと声がかかりデッキに舞い戻った。日付を越えるころには風はアベレージで30ktを超えはじめていた。ヘッドセールをNo4にした判断はよかった。

レース3日目、朝3時のワッチ交代時にメインをもう一段リーフし2ポンに。明るくなるころには35kt近いブローも入ってきた。このセールチョイス、風向なら安心して走れる。スタートから48時間ほど、思い返すとろくなものを食べていない。お菓子、パンをちょこちょこかじりながら凌いでいた。クルーもみな同じような状況で船酔いもあり食欲がない。一方宮内さんは元気いっぱい。船の細々した作業をこなしみんなに気をかけてくれたことは助かった。とくに船内でロールコールをしっかりこなしできる限りの他艇の情報を集めてくれた。唯一の貴重な情報源だった。確かこの朝のロールコールでガスパールとスターダストがリタイヤし八丈島に向かったと聞いたと思う。ガスパールでは怪我人もあるようだと報告を受け衝撃を受けた。通信状態も悪く断片的な状況しかわからないこともあり随分心配したがさらに気持ちが引き締まった。残りも安全に走りきり小笠原にたどり着きたい。

この日は風が吹き続け時々35ktを越えるブローも入ってきたため、午前中にストームジブに変えた。この3日目午前がこのレースの風のピークだった。

夕方には気持ち風は落ち着いたかなという状況だがまだ30kt以上はある。また悩む時間がやってくる。ヘッドセールを大きくしたいが依然風は残り、位置、時間帯的にまた吹き戻ってくる可能性もある。2ポン、ストームジブのセットでいくと判断し夜を迎えた。その後日付が変わる前に少し風が落ち着いてきがヘッドセールチェンジは明るくなるのを待つことにしてリーフを1段解除し1ポンへ。

レース4日目、さらに風が落ち始め明るくなる前にワッチメンバー3人でメインのリーフを解除しフルメインに。どんどん風が落ち、手元が見えるくらいの明るさになったタイミングでジェノアに変えた。風は10kt前後まで落ちていた。

明るくなるころにはぱったり風が止んだ。まずい。まだ小笠原まで70マイルある。長い一日になりそうな予感。さらに悪いことに正面から風が吹いてきた。貴帆がフィニッシュしていたことはロールコールで把握していたが他艇が気になる。圧倒的に先行されていることはわかっていたとはいえデータ通信ができず状況が把握できない。初日に夜に見かけたのが最後となった弥勒も恐らく先行しているだろう。頭の中ではいろいろな考えがグルグル回る。明るいうちにフィニッシュできるか?セールチョイスは適切だったか?もっとスピード重視のコースでいくべきだったか?風がいつまで続くか…

とにかく0.1ktでも早く、1度でも高く走れるように集中して上っていくしかない。

サバイバルモードの後はこんな微風に悩まされるとは。縦の距離がほぼ縮まらない走りを強いられたときはストレスだった。我慢のセーリングが続くが連日連夜のヘルムで疲労困憊。状況の変化がなさそうなのでキャビン内で一休み。この時急激に船が方向を変える動きがあり皆声を上げている。慌てて外に出て指差す方向を見るとクジラの背中が一瞬見えた。正面の海面に黒い影が見え危うく衝突するところをなんとか避けたとのことだ。風弱く艇速はなかったとはいえ衝突していたら艇体放棄にも繋がりかねない。舵をとっていた清水さんの咄嗟の判断で救われた。

その後少し風が戻り再びタックし徐々に南下を開始。やはり着実に距離が縮まるのは気持ちがいい。ヘディングが北之島のやや東に向けて始めた南下も午後時間がたつにつれてしっかりした風が入るとともにシフト、小笠原諸島に沿うコースが取れるようにリフトしていった。嫁島を越えたところで日没を迎え最後のもうひと踏ん張りだ。孫島の真北で一度タックし父島アプローチに向け一度西へ。雨雲の影響で時折20ktを超えるブローが入ることもあるが集中して船を進める。このとき北に弥勒と思われる航海灯を発見。同じく父島にアプローチをしているようで、辛うじて前に出た。大きく先行されていると思っていたこともあり、正直これには安堵した。時折夜のスコールを受けつつ二見港に向けて最終タック。レースもいよいよ終わりだ。日付が変わる前にフィニッシュできそうだ。

二見港にヨットで入港したのは10年以上前、昼間に1度きり。過去2回のレースは父島スタートでかつ昼間。慣れない港での夜の入港、海図も頭に入れてるしGPSもあるが慎重にいこう。艇長とはつくづく心配の尽きない役割だ。

そして23時56分、3日と13時間の激闘の末、遂にフィニッシュラインを切った。

レースを終えて

長かったのか短かったのかはよくわからない。着岸直後にバケツをひっくり返したような雨に打たれ、岸壁に立ったときには疲れでふらふらだった。それでも気持ちは達成感で晴れ晴れしていた。一気に肩の荷が下りた気がして、なんとも言えない安堵感があった。一緒に走り切った仲間も疲れ切ってはいたが充実感に溢れた顔だった。レース後の夜中で疲れているだろうにも関わらず北田さん、堤さんが出迎えてくれたことも嬉しかった。よく頑張った!の言葉にやり切ったんだ、という実感が沸いた。

着岸後スコールに
着岸後スコールに

フィニッシュ後の父島はまさに楽園そのものだった。過去2回のレース時はスタート前の滞在のため準備で慌ただしく楽しむ時間もあまり取れなかったが、今回はフェリー出航まで3日半ある。(帰りの回航をお任せして、フェリーで戻る予定としていた)ここは楽しむしかない。レースの緊張からの解放感も相まって、船の片づけや整備もしつつ、観光、海水浴など大いに小笠原ライフを楽しんだ。小笠原滞在を通して他チーム、特にテティスチームと交流できたのもいい思い出となった。

表彰式の時、Zeroの西さんに声をかけて頂いた。Zeroチームは広島から回航後、油壷湾に停泊しておりBitter Endハウスに来て頂いたことがある。その際に私が所有するINDICUM(ツボイIMS950)を見て思い出をお話し頂いた経緯がある。「本当に大変だったでしょう。おれにはわかる。表彰は逃したけどあんたが一番だよ。」と熱く声をかけて頂いたのにはついつい感傷的な気持ちなった。完走を目標としつつも成績に関しては内心悔しい気持ちもあるだけに、気にかけてくれて本当に嬉しかった。

広島から参加したZeroチーム。中央が西さん
二見港にてスポンサーの(株)アイコムの衛星電話を持って記念撮影
二見港にてスポンサーの(株)アイコムの衛星電話を持って記念撮影

表彰式後のパーティーは大いに盛り上がった。参加チーム、運営スタッフがほんとうに一つになって盛り上がった。特に厳しい海況の外洋レースは艇同士の争いと同時に自分自身との闘いであり、皆ライバルであると同時にそれぞれのミッションを戦い抜いた戦友だ。全員達成感に満ち溢れた笑顔で会場が満ちていた。小笠原にたどり着いた艇も、残念ながら途中リタイヤを余儀なくされた艇も同じ海を走った仲間。心からリスペクトし合える仲なのだ。これはインショアレースとはまた違う、外洋レース特有の一体感のように思う。

レースを終えてThetis-4チームと交流
レースを終えてThetis-4チームと交流

最終日の夜は宿近くの海岸を一人で散歩した。夜の静かな二見港。対岸の明かり、海面に映る月明りがきれいだ。心地いいそよ風にあたりながらレースを振り返ると風に翻弄された3日半は現実離れしていて夢でも見ていたようだ。スキッパーとして参加すると決めてからいろいろと不安も大きかった。レース中はいろいろな面で未熟さを実感したし、正直なところ、恥ずかしながら外洋レースはこれで最後でいいかな、と思った瞬間もあった。それでもいろいろな人に支えられて、励まされてやり切ったじゃないか。胸を張って帰ろう、そしてまた戻ってこよう。

帰りのおがさわら丸にて
帰りのおがさわら丸にて

EPILOGUE

今回のレースは本当に多くの人に支えられやり遂げることができた。

一緒にレースを戦い抜いた佐藤さん、宮内さん、清水さん、齋藤さんには感謝の言葉もない。まだまだ未熟な私を信頼して一緒に参加してくれて心からありがとうと言いたい。また参加艇のオナー、クルーの皆さんにも温かく声をかけて頂いた。皆同じ海で戦っていることを励みに船を進めることができた。

信頼して船を預けて頂き、安心して出場できるチャンスを与えてもらったBitter Endオーナーメンバーの皆さんへも大変感謝している。特にオーナーメンバーとして、セーリング仲間として、レース運営スタッフとして、いろいろな面で支えてくれた父には特にありがとうと言いたい。おかげで無事に走り切ることができた。

コロナ後の様々なハードルを乗り越え開催に漕ぎ着け、素晴らしいレースを運営頂いたスタッフの皆さん。いろいろな形でレースに関わりを持って頂いた地元の皆さん。小笠原レースをやりたいと言ったとき、嫌な顔せず送り出してくれた妻、準備期間はろくに遊べず寂しい思いをさせた息子。振り返ると感謝しきれないほど本当に多くの支えがあり無事にレースを終えることができた。

家族に感謝
家族に感謝

今回は厳しい海況のレースになったこともあり、これまでの経験が生かされた場面、未熟さを突き付けられた場面などさまざまだった。今回経験したことを忘れず、さらなる挑戦を続けていきたい。


Bitter Endチームの紹介はこちら

OgasawaraRace2023 BITTEREND

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