「小笠原レース 2023」プレビュー

「小笠原レース2023」(4/23:三崎スタート)では参加全艇の航跡がライブでネット配信されるようです。今回はレース参加艇というよりそのご家族やお友達が外洋レースをお茶の間で楽しむためのヨットレース観戦ガイドをお届けしましょう。

■ヨットは風に向かって走る

ということで、今回は初心者向けにまずは基本から。

近代ヨットは風に向かって走ることができる、ということ。
といっても、風に対して約45度くらいまでが限度です。

今回は「小笠原レース2024」に特化した説明ということで、目的地は南──つまり画面下にあるという前提で描いてみました。
画面の上から下に向かって風が吹いているように描いてあるものがほとんどだと思いますが。目的地である小笠原は画面の下(南)にあります。そして南風が吹いています。

風に対して45度ということはこんな感じ。
このままでは風上にある目的地にはたどり着けないので、タッキング(タック)を繰り返して風上にある目的地に向かいます。

つづら折りの山道を進むイメージですね。
で、海には道がないので、どこでタックするかは自由です。
となると、艇団は左右に大きく広がることになります。

どこでタックしてどのコースを辿っても、走る距離は同じ。

目的地が真の風上になくても、つまり風が目的地方向からもろに吹いてこなくても、同じ。上りきれない状態(クローズホールド)なら、コースの選択肢はこのように多くなります。

逆にいえば、どこかでタックしなければならないわけで。
風が強いとか潮の流れが有利であろうとか、様々な理由から西を航くか東に出るか、コースを選択することになります。

ここでは、単にボートスピードのみならず“高さ”も重要な要素になります。
高さとは、より風上に向かって走るということ。
高さを稼げばスピードが落ち。高さを犠牲にすればスピードは増す。高さとスピード、2つの要素を天秤にかけた風上方向の速度成分をVMG(ブイエムジー)と呼んでいます。
風上に向かって走るアップウインド(上り、風上航)では、“スピード”と“高さ”のかけ算であるVMGを意識して走る事が重要になります。

■ゲインするかゲインされるか

風向/風速は常に変化しています。
風向が変わる(風が振れる)と……

風が西に振れると西の海面に出ていた黄艇は青艇の前に出ることができます。これを“ゲイン”と呼んでいます。
風向が変わっただけでゲインしたりゲインされたり。左右どちらに伸ばすか。後の風向変化を頭に入れた戦術的なコース取りが必要になるということです。

ではその風向の変化。「小笠原レース2023」が開催される4月の中旬から下旬の実際の日本近海の天候からみてみましょう。

これは、2022年4月21日の天気図です。
【12:00】
東海上にある高気圧の圏内で、レース海面は南東の風が吹いているはず。
黄色の矢印が、上からレース序盤、レース中盤、レース後半の艇団の位置をイメージしてそこで考えられる風向になります。
矢印の大きさは風速を表していません。風向のみです。

風は気圧の高いところから低いところに向かって吹きます。
等圧線に対して約30度ほど傾くのは地球の自転によるもので、北半球では半時計回りに渦を巻くように低気圧に吹き込みます。

等圧線の間隔が狭いほど気圧の差が大きいということで、風は強く吹きます。
この図だと、そこそこ良い風が吹いているはず。クローズホールドだとデッキは波が被っているかも。

まあ、良いコンディションです。でも、東シナ海方面には怪しい前線が……。

【18:00】
暖かい空気と冷たい空気の境目が地上で交わる部分を前線といいます。ここでは雲が出来たり雨が降ったり雷が鳴ったりします。
この天気図にある前線は、南の暖かい空気と北の冷たい空気が押し合いへし合いする停滞前線になります。

で、そこに低気圧発生。
来ました来ました。

【21:00】
昼間はまだ小さな停滞前線でしたが、そこに発生した低気圧は夜半には温暖前線(赤)と寒冷前線(青)を伴って東進。レース海面に向かってきます。
レース海面の風向は時計回りに振れてきているはずです。
レース序盤から中盤にさしかかるあたりの海面では温暖前線にかかり雲が多くなるでしょう。で、真上り、と。

日付けは変わって4月22日。
【03:00】
真夜中、低気圧は発達しながらレースフリートを襲います。
仮に、4月21日11:00スタートだとすると、スタートから15時間後ということになりますから、レース艇団はまだ一番上の黄矢印のあたりでしょうか。風は南西の強風で海面は大時化でしょう。スタート時には穏やかだった海がその日の夜には大時化になる、ということ。
これが、レース後半まで進んだところ(下の黄矢印位置)ならなんてことなさそうですが。

【09:00】
朝には前線が通過し、大時化の夜も一段落。まだ風は強いでしょうが風向は西に回って船足は延びそう。
レース中盤ならこれから寒冷前線の通過ではありますが。いずれも、風向は西に回るというところがポイントです。

■VMGとVMC

風が真正面から吹いてきて目的地までタッキングを繰り返しながら走るのがアップウインドなら、風が横に回って目的地に向けて真っ直ぐ走ることができるのがリーチング。波も被らず船足は延びます。

ここで目安になるのは、VMGではなくVMC(Velocity Made good on Course)。目的地(イラストでは真下)への接近速度です。

上りきれなくならないように上り気味で走った方が……と考える向きもおありでしょうが、ここは高さよりもより前に出ておくこと。つまりVMCがマックスになるコースで走る方が有利になります。

風向はそのうち変化します。西へ回ればそのまま目的地に向きますし、逆に東に振れて真上りになっても……東に位置していた方がゲインするんでしたよね。どちらに振れても有利なのです。
唯一、自艇だけが真上りになった場合はダメなんですが、その確率は低いです。

4月23日
【06:00】
すっかり晴れて良い天気。
ですが、
西の方にはまた怪しい停滞前線が……。

と、この時期、移動性の低気圧は3日おきくらいに発生しては通過していくので、この嵐をいかに乗り越えて風の変化を見方につけるかが勝負のポイントになるわけです。

上に例に挙げた低気圧はまだカワイイほうで、この季節はメイストームとか爆弾低気圧と呼ばれる強烈な奴が日本の南岸を荒らしまくります。

こちらは2020年4月13日。
中心気圧986hpときわめて強烈。おまけに2つ目玉。
東シナ海で発生しあっという間に発達して東進してきます。台風だと発生から日本近海に近づくまで時間がありかなり早い時期から進路予想が出るのと比べて、この時期の移動性低気圧は特に小型のヨットにとって厄介なのです。

■真風向と真風位

無風の海でエンジンを使って5ノットで進めば、艇上では前から5ノットの風が吹いているように感じるはずです。これを船が走ることによって生じる進行風と呼ぶことにしましょう。
5ノットで機走すれば、進行風も5ノットということになります。

風が吹いてきてセーリングに移っても、5ノットで走れば5ノットの進行風を受け、これが実際に吹いている風と合算した風を艇上で感じるはず。これが見かけの風です。

見かけの風向は真風向より前に回り。見かけの風速は、風上に向かうアップウインドではより強くなり、風下に向かうダウンウインドでは弱くなります。

ということは、真後ろから風を受けて走ると艇速が増せば増すほど艇上で感じる風は弱くなってしまう……と。
で、真後ろから風を受けて走るヨットは遅い、と。

そこで、ダウンウインド(下り、風下航)でもある程度角度を付けて走る事で風を作りながら走ります。アップウインド同様に高さ(この場合は低さになりますが)とスピードという2つの要素を合わせたVMGが重要になるということです。
アップウインドでタックしたように、ダウンウインドではジャイビング(ジャイブ)を繰り返しながら風下にある目的地を目指します。軽風下では、より高いVMGを求めてジャイビングアングルが90度に、つまりアップウインドと似たような航跡になることも多いです。

となると、ダウンウインドでも風の振れをうまく使えば大きくゲインできる、ということでもあります。

ただし、ダウンウインドでは見かけの風と真の風の差が大きくて、真の風の変化を感じ難くなります。

上の図にある“真風向”は船首尾線との角度で、TWA(True Wind Angle)と呼ばれるもの。

一方、風が吹いてくる方位を示すのが真風位(TWD:True Wind Direction)で、南風なら180°、西風なら270°と表示されます。ヨットの針路が変わっても、風が振れない限りこの数字は変わりません。

艇上でTWAを知るには、風向/風速計と艇速(スピードメーター)を。加えてコンパスのデータも繋げればTWDを知ることができます。
計算自体は単純なベクトル計算ですからコンピューターからすればわけない仕事なのですが、それぞれのデータが正確でないと正確なTWDは出力されません。ジャイブするたびにTWDの値が変わってしまったりします。
ロールコール時に艇上から送られてくる風向/風速もこちら真風位/真風速のはずなんですけど、結構いい加減だったりするのです。

各計器の誤差を修正する作業がキャリブレーション。キャリブレーションで正確なTWDが表示されるように準備するのはナビゲーターの重要な仕事になります。
強いチームはこのあたり、レース前に時間をかけて行っているはず。

■海流の中の島々

海図上の2地点を直線で結んだ線をラムライン(航程線)と呼びます。コンパス方位を一定に保って走るコースです。

地球は丸いので、厳密にいうとラムライン=最短距離ではないのですが、短い距離や「小笠原レース2023」のようにほぼ南北に延びるコースではラムライン=最短コースと考えてもいいです。

アップウインドやダウンウインドでは、左右に広くコースの選択肢があるとは書きましたが、長距離の外洋ヨットレースではラムラインに沿って走るのが基本のセオリーとなります。

「小笠原レース2023」のレース海面では、風は基本的に時計回りに振れていきそうですが、西が有利といっても艇団の右側という程度で、基本はラムラインに沿って走ることになります。

上の図は、インターネットの気象予報サービスwindy.comによる海流予想図に「小笠原レース2023」のラムライン(赤い点線)を重ねたものです。

潮の流れには、潮汐(月と太陽の引力による海面の上下動)による潮流とそれ以外の恒常的な流れ──海流の2つがあります。
実際は両方合わせて現れるわけで、潮(しお)と呼んだりしますが。

図の白っぽい部分は流れが速いことを意味します。静止画にすると流向が分からないので、黄色い矢印を重ねてみました。
日本の南岸を流れる海流──黒潮が蛇行しているのがわかります。
そしてその黒潮が、「小笠原レース2023」のラムライン上を不規則に横切っていることも。

レース序盤の伊豆七島の付近を拡大してみるとこんな感じ。

正直言って、過去の経験上この予想図がどこまで正しく流れを表しているかはなんともいえないのですが。御蔵島の東では2ノット強の北東流がある……とすると、軽風下のヨットにとって影響は大きいです。前から受けるのを逆潮(さかしお)向かい潮。後ろから受けるのを連れ潮(つれしお)追い潮と呼びますが、この海域で小型艇だとほとんど前に進まないくらいの逆潮にあったこともあります。

実際の潮の強弱は、GPSから得られる対地進路/対地速度(cog/sog)と、コンパスとスピードメーターとによる針路(ヘディング)/対水速度の差から、潮流の流向/流速(set/drift)を出力することができます。

艇上で得られた実際の流向/流速と予想図とを見比べて、どういう抜け道がありそうか。いっそ横切るか、思い切って島に寄せて反流に期待してみるか。対応は難しくて答えはなかなか見いだせないのですが……。

と、長距離レースの艇上では風と波と潮を相手に少しでも前に出ようと知恵を絞って24時間走り続けるのです。

「小笠原レース2023」のスタートは4月23日(日)
レース中は人工衛星を使った通信端末によってライブで航跡表示されるとのこと。
windyなどの気象情報と合わせて、お茶の間からのレース観戦をお楽しみください。

コラムの中で出てきた用語は、リンク集でサイトをご確認いただけます。


著者:高槻和宏

昭和30年(1955)生まれ。横須賀在住のマリンジャーナリスト。ヨット関連の著書多数。


※「その道は大海原へ」は、JOSAが目指すテーマです。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA